研究概要

 わたくしは近世日本文芸を「日本文芸学」という学的立場から研究を行っています。 とくに西鶴・芭蕉・近松等から秋成へと展開する、近世前期文学の体系化を課題としています。 作品を分析するのに際し、当時の読者にどのように受容されたかを知ることを大切にしています。したがって、作品が形成された同時代の文芸環境・社会的背景をも含めた総合的な視野からの研究を行っています。
 研究対象においても、近世前期文学に限らず、日本文芸の体系化を目指して、近世の和歌、俳諧、漢詩、随筆、演劇等、幅広く考えています。又、日本文芸のアジア文芸からの受容についても、興味をもっています。 さらに近世を背景とした藤沢周平・司馬遼太郎・山本周五郎・京極夏彦等の時代小説の魅力の解明についても取り組んでいます。近世の人々に、そして、現代の我々に愛される近世文芸の本質とは何か。この大きなテーマに挑んでいます。

著者 森田雅也について(関西学院大学 教員研究者紹介ページへ)



受容文芸学とは

「受容文芸学」とは立項されていない文学理論かもしれない。しかし、私の関西学院大学大学院文学研究科に提出した、博士論文『西鶴文芸史の研究~受容理論を基底とした分析~』(2005年3月16日「博士(論文)乙110号」授与)にも記したように、受容美学(Rezeptionsasthetik)に基づいた文学理論による学的立場とご理解いただければ幸いである。 日本文学史、特に日本の古典文学史に、一貫した研究方法を持つために唱えた新しい日本文学史研究の方法、これが「受容文芸学」なのである。基本的にはドイツの受容美学の理論、ドイツの中世フランス文学研究者H・R・ヤウス(1921~97)の『挑発としての文学史』によるが、同じくドイツのW・イーザー(1926~2007)『行為としての読書――美的作用の理論』の理論にも共鳴している。彼らは読者中心の文学史を提唱し、文学は、読者の経験を通して初めて歴史化されることを論じ、文学の歴史性の正当な認識は、読者を通してこそ行われるのだと主張している。この読者に焦点をあわせた受容理論こそ、私の西鶴文芸の分析に不可欠な方法と考え、これを基底として論をすすめている。西鶴と同時代の人々がどのように読み、作者西鶴もそれを予期して作品を生み出しているのかを分析することは大きな命題なのである。
具体的には、従来の西鶴浮世草子史の研究といえば、好色物、雑話物、武家物、町人物という主な対象素材による別個の四世界の統合ととらえていたが、その垣根を取り除き、戯作史、俳諧史、戯曲史、芸術史、地域史、交通史、物流史、法制史、経済史等人文科学をも超えた分野の資料を積極的に用いて、西鶴文芸史、さらには日本文芸史を再分析しようとしているのである。 もちろん、日本文学研究の伝統的方法である、先行文学との関係を書誌的に論じたり、民俗学的方法、説話的方法、民話の形態学、諸本対照、記事の異同等従来の日本文学研究の方法があっての研究であるが、それは個々の作品分析に応じて用いている。
ただ、誤解されがちであるが、この方法は文学史を解体して、新しい文化史との融合を唱えているのではない。また、文芸作品の個々の特質を作家の人生に合わせて文化史の一齣に連ねるだけの作業でもない。解明の主体は当時の読者と作品との関係にあり、その作用を文芸史の徴表または様式として位置づけていく。これが私の唱える「受容文芸学」なのである。
まだまだ研究方法が確立していない文学理論ではあるが、世界的な文学史研究を視野に入れ、日々、研究に邁進している。さまざまな学術的ご意見をお待ちしたい。


井原西鶴について

 (寛永19年<1642>~元禄6年<1693>) 人間の本能(色欲、物欲)を探求した作品を書き、一大人気作家となる。 代表作は「好色一代男」「好色一代女」「日本永代蔵」「世間胸算用」など。 この中で、天和2年(1682)に刊行された絵入りの「好色一代男」 が西鶴没後、浮世草子と名づけられ、従来の仮名草子とは別の新しいジャンルが出現した。この流れが江戸の草双紙へつながって行く。なお、江戸での 重版(ちょうはん)出版の際、「好色一代男」の挿絵は菱川師宣が担当して いる。ところで、西鶴の好色本は後年、寛政・天保の改革で禁書扱いとなり 明治時代に至るまで続いた。
 

 

■浮世草子とは

 『好色一代男』以来約八十年間、上方を中心に行われた町人文学の総称、またはその時代の小説類。それまで京都中心に行われていた“仮名草子”が啓蒙・教訓的であったのに対し、現実主義的、娯楽的な内容で、好色物・武家物・町人物などさまざまなジャンルがある。

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